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おもしろかっぱ館 駒ヶ根市天竜かっぱ広場
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特別展のご案内

平成31年度特別展「我が河童のふるさとに陸軍登戸研究所がやって来た!!」

【期間】平成31年4月2日(火) ~ 令和2年3月28日(土)

1. 平成元年に始まった、赤穂高校平和ゼミナールの先生と生徒による調査活動に基づくパネルその他
2. 登戸研究所調査研究会の調査活動に基づくパネルその他を追加展示します。
3. 語り部 日曜日午後1時~3時 可能な限り
4. DVDの視聴の準備
5. その他

赤穂高校平和ゼミナールの活動

 1989(平成元)年、赤穂高校3年生の春日(現北原) いづみさんから「今年の文化祭に登戸のことを発表したいから手伝ってください」というのが登戸研究所の調査をするきっかけでした。
 連日、放課後を使い中沢・東伊那の聞き取り調査を行いましたが、登戸研究所の名前は知っていても、その内容についての詳しいことは知りませんでした。
 そのうち、当時の将校であった伴繁雄さんと知り合いになり、多くの時間、聞き取り調査をすることができました。

文化祭で展示内容を説明する春日さん

文化祭で展示内容を説明する春日さん

伴繁雄氏から聞き取りをする春日さん

伴繁雄氏から聞き取りをする春日さん

平和ゼミナールの活動(石井式濾過管の発見)

 平和ゼミナールの調査で注目されたのが、伴氏宅で発見された「濾過管」です。この濾過管には「軍事機密」という刻印があり、731部隊長の石井四郎が発明された物で、戦後初めての発見でした。

文化祭で展示内容を説明する春日さん

日本濾水機(株)で発見された石井式濾水器

伴繁雄氏から聞き取りをする春日さん

東伊那の伴氏宅で発見された濾過管

伴繁雄氏から聞き取りをする春日さん

石井式濾過管

平和ゼミナールの活動(実験器具等の発見)

 「駒ケ根市」には、登戸研究所のことは数行しか記述さていなかった。
 そのため、疎開していた中沢小学校の昭和20年の「学校日誌」を調査しました。このなかに、登戸の関係者が来校していた事実や実験器具を学校に寄贈した事実などの記述があり、実際に登戸の関係者が来ていた事実が明らかになりました。
 また、当時の実験器具らしいものが倉庫にあったので、当時の将校であった杉山圭一氏に確認したところ、実際に登戸研究所で使用していた物であることが確認されました。

文化祭で展示内容を説明する春日さん

中澤国民学校昭和20年の「学校日誌」

伴繁雄氏から聞き取りをする春日さん

実験器具を確認する杉山圭一氏

文化祭で展示内容を説明する春日さん

工場となっていた中沢「中割協議所」

伴繁雄氏から聞き取りをする春日さん

工場となっていた中沢「上割議所」

伴繁雄氏から聞き取りをする春日さん

缶詰爆弾の製造が行われていた中沢「香花社」

伴繁雄氏から聞き取りをする春日さん

調査で発見された登戸研究所の書籍

平和ゼミナールの活動(法政二高・川崎市民との交流会)

 その後、同様の研究をしていた川崎の法政二高平和研究会や登戸研究所の調査をしていた川崎市民と合同の交流会を、赤穂高校と川崎市で持つことができました。
 この合同調査によって、登戸研究所の研究が発展し、当時の関係者の話などから全貌が徐々に明らかになってきました。

文化祭で展示内容を説明する春日さん

関係者からの聞き取り調査(赤穂高校)

伴繁雄氏から聞き取りをする春日さん

赤穂高校での交流会

伴繁雄氏から聞き取りをする春日さん

川崎での交流会

平和ゼミナールの活動(川崎市での登戸研究所の展示)

 合同研究の結果は、川崎市で展示され、多くの市民から注目されました。
 赤穂高校平和ゼミナールの研究成果も展示されました。
 このことが、後に「高校生が追う陸軍登戸研究所」という本になりました。

文化祭で展示内容を説明する春日さん

伴繁雄氏から聞き取りをする春日さん

伴繁雄氏から聞き取りをする春日さん

第1科の研究内容

風船爆弾(ふ号)
 1944(昭和19)年11月から翌年の3月までの間に、約15,000個を放球予定(実際は9,300個)。この製造のために、全国の高等女学校の生徒が動員された。

文化祭で展示内容を説明する春日さん

伴繁雄氏から聞き取りをする春日さん